【第84話】慣れた道に落とし穴

秋の朝は、少しずつ冷たさを増していた。

翔太はいつものように制服に袖を通し、警備現場へ向かった。

今日の現場は、大型商業施設の駐車場。

何度も担当したことのある、慣れた場所だった。


「翔太先輩、おはようございます!」

元気な声で駆け寄ってきたのは、後輩の花吉だった。

「おはよう、花吉。今日も元気やな」

「はい! ここなら何度も来てますから、もうバッチリです!」

花吉は自信満々に胸を張った。

翔太はその様子を見て、少し笑った。

「ほう。もうバッチリか」

「はい! 車の流れも、お客さんの動きも、だいたい頭に入ってます!」

「それは頼もしいな。でもな、花吉」


翔太は少し真面目な顔になった。

「慣れた現場ほど、気ぃつけなあかんで」

「え? どうしてですか?」

「まあ、今日一日やってみたらわかるわ」

花吉は不思議そうに首をかしげた。

午前十時。

開店とともに、駐車場へ車が入り始めた。

花吉は手際よく誘導棒を振り、車を案内していた。

動きに迷いはない。

以前と比べれば、ずいぶん成長している。

翔太も少し離れた場所から、その姿を見守っていた。

そんなときだった。


「花吉! ちょっと待て!」

翔太の声が響いた。

花吉が振り返ると、駐車場の出口付近を小さな子どもが歩いていた。

母親は少し後ろにいる。

ちょうどそこへ、一台の車が近づいていた。

花吉は慌てて車を停止させた。

幸い、事故にはならなかった。

「す、すみません!」

花吉の顔から笑顔が消えた。


翔太は子どもと母親が安全な場所へ移動したことを確認した。

それから花吉に声をかけた。

「今、何を見てた?」

「入ってくる車です。いつもこの時間は入庫が多いので……」

「そうやな。でも今日は、出口側にも注意が必要やった」

「はい……」

「いつもの流れを知ってるのは、ええことや。でもな」

翔太は静かに続けた。

「いつもと同じやと思い込むのが、一番怖いんや」

花吉は黙ってうなずいた。


昼休憩。

二人は休憩室で弁当を広げていた。

花吉はまだ、午前中のことを気にしているようだった。

「先輩、僕、ちょっと調子に乗ってました」

「そうか?」

「慣れてきたから、もう大丈夫やと思ってました」

翔太はお茶をひと口飲んだ。

「花吉。慣れること自体は悪いことやないで」

「そうなんですか?」

「当たり前や。慣れへんかったら、いつまでも仕事にならん」

翔太は笑った。


「ただな、慣れには二つあると思うんや」

「二つ?」

「仕事が身につく慣れと、注意せんようになる慣れや」

花吉は箸を止めた。

「同じ慣れでも、全然違うんですね」

「そういうことや」

午後になると、駐車場はさらに混雑した。

花吉は午前中とは違い、車だけでなく歩行者にも目を配っていた。

小さな子ども、高齢者、買い物袋を抱えた人。

同じ駐車場なのに、見える景色が変わっていた。


夕方。

勤務を終えた花吉が、翔太に声をかけた。

「先輩、今日は勉強になりました!」

「何がや?」

「毎日同じ場所でも、毎日同じ状況じゃないってことです」

翔太は満足そうにうなずいた。

「ええことに気づいたな」

「明日からも、初心を忘れずに頑張ります!」

「おう。でも、今日のことも忘れたらあかんで」

「はい!」


秋の夕日が、駐車場を赤く染めていた。

翔太はふと思った。

人は慣れることで成長する。

けれど、慣れることで大切なものを見失うこともある。

仕事も、暮らしも、人との関係も。

当たり前になったものほど、丁寧に向き合わなければならない。

慣れることは成長。慣れきってしまうことは油断。

翔太は今日もまた、警備の仕事から大切なことを学んだ。

そして明日も、同じ場所に立つ。

昨日とは違う今日を、見落とさないために。


つづく

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