【第71話】一人前と一流の違い
朝の空気は少し湿っていた。
翔太はいつものように誘導棒を手に持ち、現場の準備をしていた。
「おはようございます!」
元気な声で現れたのは、新人の佐藤だった。
警備会社に入って半年。
ようやく一人で現場を任されるようになり、自信がついてきた頃だった。
「翔太さん!」
「昨日、一人で現場を終わらせました!」
「事故もクレームもゼロです!」
嬉しそうな顔だった。
翔太も自然と笑顔になる。
「それは良かったな。」
「頑張ったじゃないか。」
すると後ろから寺中隊長が歩いてきた。
「ほう、一人前になったか。」
佐藤は胸を張る。
「はい!」
「やっと一人前です!」
寺中隊長は笑いながら言った。
「それなら一つ質問だ。」
「一人前と一流の違いは何だと思う?」
佐藤は困った顔をした。
翔太も答えが浮かばない。
「技術ですか?」
「経験ですか?」
寺中隊長は静かに首を振った。
「違う。」
「一人前というのは、自分の仕事を最後まで責任を持ってできる人だ。」
「一流というのは……」
少し間を置く。
「周りの仕事まで楽にしてしまう人だ。」
翔太は、その言葉が胸に残った。
午前中の現場。
工事車両が何台も出入りし、人通りも多い。
翔太は誘導を続けながら、周囲を見渡していた。
すると新人の佐藤が、車と歩行者が重なるタイミングで少し焦っているのが見えた。
以前の翔太なら、すぐに走って助けていただろう。
しかし今は違う。
まず自分の持ち場の安全を確保する。
無線で近くの隊員へ一言。
「こちら翔太。
佐藤側フォローお願いします。」
それだけだった。
近くの隊員が自然に動き、佐藤は落ち着きを取り戻した。
現場は止まることなく流れていく。
工事責任者も何も気付かない。
歩行者も安心して渡っていく。
それが一番だった。
昼休み。
寺中隊長が缶コーヒーを渡してくれた。
「今日は走らなかったな。」
翔太は少し笑う。
「昔なら飛び出してました。」
「でも、自分が動けば逆に危なくなると思って。」
寺中隊長は嬉しそうに頷く。
「そうだ。」
「自分だけ頑張る人は意外と多い。」
「でも現場全体を見る人は少ない。」
翔太はコーヒーを一口飲む。
寺中隊長は続けた。
「若い頃はな。」
「俺も、自分が一番働けば評価されると思っていた。」
「誰よりも早く動いて。」
「誰よりも遅く帰って。」
「それで満足していた。」
少し遠くを見る。
「でも、それじゃ現場は強くならない。」
「自分が休んだら止まる現場は、いい現場じゃない。」
翔太は静かに聞いていた。
「一流は、自分がいなくても回る仕組みを作る。」
「後輩が育つ。」
「仲間が安心して動ける。」
「お客様も安心する。」
「その安心を作れる人が、一流なんだ。」
午後。
翔太は佐藤に声をかけた。
「焦らなくていい。」
「全部自分でやろうとしなくていいんだ。」
佐藤は少し驚いた。
「でも、迷惑をかけたくなくて…。」
翔太は笑った。
「俺もそう思ってた。」
「でも、助けてもらうことも仕事なんだ。」
「その代わり、今度は自分が誰かを助ければいい。」
佐藤は何度も頷いた。
作業終了。
工事責任者が近づいてきた。
「今日も安心して仕事ができました。」
「ありがとうございます。」
その一言だけだった。
寺中隊長は翔太の方を見た。
「聞いたか?」
「警備員は目立たなくていい。」
「でも安心だけは残さないといけない。」
翔太は静かに頷く。
帰り道。
夕焼けが街を優しく染めていた。
翔太は今日の言葉を思い返す。
一人前は、自分の仕事をやり切れる人。
一流は、自分の存在で周りを安心させる人。
その違いは、技術ではなかった。
誰かのために視野を広げられるかどうか。
その小さな積み重ねが、いつか「一流」と呼ばれる人をつくるのだろう。
つづく
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