【第69話】大きな目標、小さな積み重ね

七月の朝。

蝉の声が響く中、翔太はいつものように営業所の掃除をしていた。

ほうきを動かしながら、ふとため息をつく。

「どうした? 朝から難しい顔して。」

後ろから寺中が声をかけた。

「寺中さん…俺、この仕事をもっとできるようになりたいんです。」


「ほう。」

「でも、交通誘導二級の資格も取りたいし、無線ももっと覚えたいし、将来は後輩を指導できる人にもなりたいし……。」

翔太は少しうつむいた。

「なんか、やりたいことが多すぎて、何から手をつけたらいいのか分からなくて。」

寺中は笑った。

「大きな目標があるのはいいことだ。」

そう言って、自動販売機で缶コーヒーを二本買い、一本を翔太へ渡した。

「ありがとう…ございます。」

「でもな、目標っていうのは、遠くの山みたいなもんだ。」

「遠くの山…ですか?」


「いきなり山の頂上には行けない。まずは一歩歩く。次にもう一歩。その積み重ねでしか頂上には着かない。」

翔太は黙って聞いていた。

「資格を取りたいなら、今日は参考書を一ページ読む。」

「はい。」

「無線を覚えたいなら、現場で一回でも正しい言葉を使ってみる。」

「はい。」

「後輩を指導できる人になりたいなら、まずは自分が挨拶をきちんとする。」

寺中は缶コーヒーを一口飲んだ。

「大きな目標ってのはな、小さな積み重ねの先にあるんだ。」

その言葉が、翔太の胸に静かに響いた。


その日の現場。

翔太は片側交互通行を担当していた。

休憩時間になると、ポケットから小さなメモ帳を取り出した。

『今日覚えること
・無線の言い回しを一つ覚える
・誘導の立ち位置を確認する
・交通誘導二級の問題を一問解く』

たった三つだけ。

寺中が覗き込んだ。

「なんだ、それ。」

「大きな目標のための、一歩です。」

寺中は思わず笑った。

「いいじゃないか。」


午後。

翔太はいつも以上に無線の言葉を意識した。

「こちら西側、歩行者一名通行します。」

「了解。」

たったそれだけのことだった。

だが、昨日の自分より少しだけ前へ進めた気がした。

夕方。

営業所へ戻ると、事務所の隅でまるが丸くなって寝ていた。

「ただいま、まる。」

「にゃあ。」

翔太はしゃがみ込み、頭をなでる。


「俺、急ぎすぎてたのかもしれないな。」

まるは気持ちよさそうに目を細めた。

その時、寺中が後ろから声をかける。

「翔太。」

「はい。」

「人はな、昨日と今日で劇的には変わらない。」

「……。」

「でも、一日一日の積み重ねは、気づいたら別人みたいな成長になる。」

翔太は静かにうなずいた。

「だから焦るな。今日できる一歩を積み重ねろ。」

夕焼けが窓から差し込み、事務所を優しく照らしていた。

翔太はメモ帳を開き、今日の三つの目標に小さく丸をつけた。

そして、心の中でつぶやく。

『大きな夢は、小さな一歩の先にある。』

そう思うと、遠くに見えていた山の頂上が、少しだけ近くなった気がした。


つづく
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