【第58話】教えるということ
春の朝。
現場へ向かう途中、駅前の歩道は新しいスーツ姿の人であふれていた。
まだ着慣れていないスーツ。
少しぎこちない歩き方。
手には真新しいカバン。
(ああ…新年度か)
翔太はその光景を見ながら、ふと立ち止まった。
一人の若いサラリーマンが、緊張した顔でスマホを見ながら歩いている。
その姿に、どこか見覚えがあった。
(なんか…花吉に似てるな)
初日のあのぎこちなさと、まっすぐな目。
そして――
(俺も、あんな感じやったんやろな)
少し前の自分を思い出した。
現場に着いても、その光景が頭から離れなかった。
(新人って、あんなふうに見えるんやな…)
今までは「自分が必死」だった。
周りを見る余裕なんてなかった。
でも今は違う。
自分の横に、新人が立つこともある。
実際に、花吉に声をかけたこともある。
(俺…教える側になってきてるんやな)
そう思った瞬間、胸の奥が少しざわついた。
昼休み。
翔太は、休憩所で寺中さんの隣に座った。
しばらく無言が続いたあと、ぽつりと口を開いた。
「寺中さん…」
「ん?」
「新人に、どうやって教えたらいいんですかね」
寺中さんは、少しだけ目を細めた。
「どうした急に」
翔太は、朝見た光景を話した。
新しいスーツのサラリーマンのこと。
花吉のこと。
そして、自分が“教える側”になりつつあること。
話し終えると、少しだけ照れくさくなった。
寺中さんは、ゆっくりと頷いた。
「そうか。ええことやな」
「ええこと…ですか?」
「自分のことだけで精一杯のうちはな、そんなこと考えん」
その言葉に、翔太はハッとした。
「教え方なんてな、最初からうまくいかん」
寺中さんは続けた。
「大事なんは、“相手を見ること”や」
「相手を見る…」
「できてへんところだけやなくて、できてるところも見る」
翔太は黙って聞いていた。
「それからな――」
寺中さんは少し間を置いた。
「自分が新人やったとき、どうしてほしかったかを思い出すんや」
その一言が、胸にすっと入ってきた。
(俺が新人のとき…)
うまくできなくて焦ったこと。
怒られるのが怖かったこと。
でも、ちゃんと見てくれてると感じたとき、少し安心できたこと。
いろんな記憶がよみがえった。
「完璧に教えようなんて思わんでええ」
寺中さんは軽く笑った。
「一緒にやっていくんや」
その言葉に、翔太の肩の力がすっと抜けた。
午後の現場。
通り過ぎる車に、いつもより少しだけ丁寧に合図を送る。
(もしここに新人がいたら…)
そんなことを考えながら、動いている自分に気づいた。
現場の帰り道。
朝見かけた新入社員らしき青年が、同じ場所で電話をしていた。
「はい…すみません、すぐ向かいます!」
まだどこかぎこちない声。
翔太はその横を通りながら、心の中でつぶやいた。
(がんばれよ)
つづく
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