【第62話】その一言の向こう側

六月の終わり。

蒸し暑い夜風が、仕事終わりの身体にまとわりついていた。

「いやぁ〜、今日は暑かったっすねぇ!」

崎川さんが大きな声で笑いながら、居酒屋ののれんをくぐる。

今日は久しぶりに、会社の数人での飲み会だった。

翔太、花吉君、崎川さん、そして坂上さん。

現場終わりの疲れをねぎらうように、テーブルには次々と料理が並んでいく。


「花吉、今日は結構動いてたな」

坂上さんが焼き鳥を口にしながら言った。

「いや〜、まぁ慣れてきましたから」

花吉君は少し得意げに笑う。

最近の花吉君は、仕事にもだいぶ慣れてきていた。

周囲を見る余裕もでき、後輩らしさの中に自信も出てきている。


その時だった。

若い女性店員さんが、空いた皿を下げに来た。

「失礼しまーす」

すると花吉君は、スマホを見たまま軽く手を振り、

「あとビールもってきて」

と、少しぶっきらぼうに言った。

店員さんは笑顔で、

「はい、かしこまりました」

と返して厨房へ戻っていく。

その瞬間、翔太は少しだけ表情を曇らせた。


だが、その場では何も言わなかった。

しばらくして、追加のビールが届く。

店員さんは忙しそうに何度も店内を行き来していた。

料理を運び、注文を聞き、空いた皿を下げる。

汗をかきながらも、ずっと笑顔だった。

飲み会も終盤に差しかかった頃。

翔太は、ふと花吉君に話しかけた。

「花吉君」

「はい?」

「さっきの店員さんへの言い方、ちょっと気になった」


花吉君はキョトンとする。

「え?普通じゃないですか?」

「うーん……悪気がないのは分かる。でもな」

翔太はグラスを置いて、静かに続けた。

「働いてる人には、ちゃんとリスペクト持った方がええと思う」

花吉君は少し黙る。

「俺らも現場でさ、“警備員さんありがとう”って言われたら嬉しいやろ?」

「……まぁ、そうですね」

「逆に、当たり前みたいに雑に言われたら、ちょっと悲しい時あるやん」


「あ……」

花吉君の表情が変わった。

翔太は、ゆっくり続ける。

「仕事って、立場は違っても、みんな誰かのために動いてると思うねん」

「警備員も、店員さんも、掃除してる人も、トラック運転手さんも」

「だから、“やってもらって当たり前”になったらあかんと思う」

花吉君は黙ったまま、さっきの店員さんの姿を思い出していた。

汗をかきながら、笑顔で動き回っていた姿。


「……俺、ちょっと偉そうでしたね」

翔太は苦笑いした。

「まぁ、若いうちは誰でもあるって」

すると崎川さんが横から口を挟む。

「わしなんか昔、“お客様は神様やろ!”って店員に怒鳴ってるオッサン見て、“絶対ああならんとこ”って思ったわ!」

一同が笑う。

坂上さんも静かにうなずいた。

「結局、人柄ってそういう所に出るからな」


その時だった。

先ほどの店員さんが、最後の片付けに来た。

花吉君は少し姿勢を正し、

「すみません、ありがとうございます」

と、はっきり頭を下げた。

店員さんは少し驚いたあと、

「こちらこそ、ありがとうございました!」

と笑顔で返した。


店を出る帰り道。

夜風が少し気持ちよかった。

花吉君がぽつりと言う。

「翔太さん」

「ん?」

「なんか今日、“仕事”っていうより、“人として”大事なこと教わった気がします」

翔太は少し照れくさそうに笑った。

「俺もまだまだ勉強中やけどな」

遠くで、終電へ急ぐ人たちの足音が響いていた。

今日もまた、翔太は少しだけ“先輩”になっていた。


つづく

翔太の英会話日誌(Kindle Unlimited読み放題):https://www.amazon.co.jp/dp/B0G33G41ZN

「翔太の英単語暗記カード」は無料でお使いいただける暗記カードです。