【第65話】技術とは知識の蓄積じゃなくて、心の蓄積

六月のある晴れた日。

翔太は花吉君と一緒に、住宅街で行われる水道工事の現場に配置されていた。

朝礼が終わり、規制帯を設置しながら花吉君が言った。

「翔太先輩って、ほんまに誘導うまいですよね。」

翔太は苦笑した。

「そんなことないよ。」

「いやいや。車も歩行者も安心して通してる感じがありますもん。」

花吉君は真面目な顔で続けた。

「俺も交通誘導の本とか動画とか見て勉強してるんですけど、なかなかうまくならなくて。」

翔太は少し考えた。

「たぶん、それだけじゃないんやと思う。」

「え?」


午前中。

一台の高齢者マークの車が近づいてきた。

翔太は大きくゆっくり合図を出し、相手の反応を確認しながら誘導する。

車は安全に通過した。

その様子を見ていた花吉君が聞いた。

「今の、教科書通りとは少し違いましたよね?」

「そうやな。」

翔太はうなずいた。

「昔の俺やったら、自分の合図だけ見て誘導してたと思う。」

「今は違うんですか?」

「相手が見えてるか、分かってるか、不安そうじゃないかを見るようになった。」


昼休み。

二人はコンビニの駐車場で弁当を食べていた。

花吉君が言った。

「それって技術なんですかね?」

翔太は少し空を見上げた。

「寺中さんが前に言ってたんや。」

『技術とは知識の蓄積じゃなくて、心の蓄積や。』

「心の蓄積?」

「失敗した経験とか、怖い思いをした経験とか、人に助けてもらった経験とか。」

花吉君は黙って聞いている。

「知識だけなら本を読めば覚えられる。」

「はい。」

「でも相手を思いやる気持ちとか、焦らない心とか、最後まで確認する責任感とかは経験せな身につかへん。」


午後。

工事現場の前で、小さな子どもが自転車に乗って近づいてきた。

道路の反対側には母親の姿。

飛び出す可能性がある。

翔太はすぐに車両を止め、子どもの動きを見守った。

無事に通過すると、母親が深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。」

花吉君はその様子を見ながらつぶやいた。

「なるほど……。」

「どうした?」

「知識だけなら、車を止めるって答えは出せます。」

「うん。」

「でも今の判断って、子どもを守りたいって気持ちが先にありましたよね。」

翔太は笑った。

「たぶんそうやな。」


帰り際。

片付けをしながら花吉君が言った。

「俺、今まで技術って知識やと思ってました。」

「俺もそうやった。」

「でも違うんですね。」

翔太はうなずく。

「知識は覚えるもの。」

「はい。」

「技術は積み重ねるもの。」

「積み重ねる?」

「毎日の失敗や経験、人への思いやり。」

夕日に照らされた規制帯が静かに揺れる。

翔太は誘導棒を片付けながら言った。

「結局な。」

「はい。」

「最後に人を守るのは、知識より心なんやと思う。」

花吉君は大きくうなずいた。

「俺も、そういう警備員になりたいです。」

その言葉を聞きながら、翔太は少しだけ頼もしくなった後輩の姿を見ていた。


技術とは知識の蓄積ではない。

失敗から学び、人を思い、責任を積み重ねていく。

その心の蓄積こそが、本当の技術になるのだ。


つづく

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