【第53話】税金を払うということ
春のやわらかな風が吹く朝。
翔太はいつものように、会社の事務所で出勤簿に名前を書いていた。
「おはようございます!」
元気よくあいさつすると、奥の机で書類を見ていた二浦さんが顔を上げた。
「おう、翔太。今日は市役所近くの歩道工事や。人通り多いから、しっかり頼むで」
「はい!」
その日は、市役所の近くで行われる歩道の補修工事現場だった。
通勤の人、自転車に乗る人、お年寄り、ベビーカーを押すお母さん。
いろんな人が通る場所だけに、いつも以上に丁寧な誘導が求められる現場だった。
現場に着くと、寺中さんがすでに準備を始めていた。
「翔太、今日はな、通すだけやない。歩く人が“安心して通れるか”を見ろ」
「安心して通れるか……ですか」
「そうや。ただ道を空けるだけなら、誰でもできる。
でもな、警備は“この人が不安なく進めるようにする”仕事や」
「はい!」
翔太は大きくうなずいた。
午前中、現場は思った以上に忙しかった。
役所に向かう人も多く、スーツ姿の会社員が足早に通り過ぎていく。
その合間をぬって、高齢の男性や小さな子ども連れもやってくる。
「こちら足元気をつけてお通りください」
「自転車の方、少々お待ちください。今ご案内します」
「ありがとうございます。ゆっくりどうぞ」
翔太は、一人ひとりの様子を見ながら声をかけていた。
昼前、杖をついたおばあさんが工事区間の前で立ち止まった。
地面の一部が削られていて、少し段差ができている。
「おばあちゃん、こちらからの方が安全です。ゆっくりどうぞ」
翔太はカラーコーンを少しずらし、通りやすい位置を作った。
おばあさんは何度もうなずきながら歩き、通り過ぎるときに小さな声で言った。
「ありがとうねぇ。こういう人がおると助かるわ」
その言葉に、翔太の胸が少しあたたかくなった。
昼休み。
近くのベンチでお弁当を食べながら、翔太はふと昨日もらった給料明細のことを思い出していた。
封筒を開けたとき、思っていた金額より少なく見えて、少し驚いたのだ。
そこには「所得税」「住民税」「社会保険料」など、いくつもの項目が並んでいた。
「寺中さん……ちょっといいですか」
「なんや?」
「給料明細、見てたんですけど……税金って、けっこう引かれるんですね」
寺中さんはお茶をひと口飲んで、静かに笑った。
「最初はみんな、そう思う」
「正直、こんなに引かれるんや……って、ちょっとびっくりしました」
「せやろな。でもな、それ、なくなるだけの金やないんや」
「え?」
寺中さんは、工事の向こうに見える市役所の建物を指さした。
「たとえば、あの道路。
たとえば信号。
たとえば病院、学校、消防車、ゴミの回収。
見えへんところで、みんなが出した金で回っとる」
翔太は黙って聞いていた。
「税金いうのはな、“取られるもん”って感じやすい。
でもほんまは、“社会を一緒に支えるために出し合うもん”や」
「社会を……支える」
「お前のお母さんも、病院行くことあるやろ」
「はい」
「その病院も、道も、福祉も、防災も、全部どこかでつながっとる。
自分ひとりで生きてるようで、人はけっこう支えられて生きとるんや」
翔太は、手元のお弁当を見ながら、ゆっくり考えた。
自分は働いて、お金をもらう。
その中の一部は税金として納める。
それが、誰かの暮らしや、町の安心につながっていく。
それは、なんだか警備の仕事にも少し似ている気がした。
目立たない。
でも、ないと困る。
誰かが安心して過ごすために、見えないところで支えている。
午後、現場の前を小学生の列が通った。
下校の時間らしく、先生が先頭に立っている。
「はい、広がらずに歩こうねー」
翔太はすぐに車両の動きを見て、横断のタイミングを調整した。
「いま大丈夫です、どうぞ!」
子どもたちが元気に通っていく。
その中のひとりが、工事中の新しい舗装を見て言った。
「ここ、きれいになってる!」
「ほんまや、前より歩きやすそう」
その声を聞いて、翔太は思った。
こうして道が直されること。
安心して歩けること。
子どもたちが元気に帰れること。
それもきっと、誰かが働いて、誰かが納めて、みんなで支えているから成り立っている。
大きなことは、急にはできない。
でも、自分にもできることはある。
目の前の人を安全に通すこと。
あたりまえを守ること。
そして、働いて得たものの一部で、社会を支えること。
それは決して派手ではない。
けれど、大人になるというのは、
そういう“見えない役目”を少しずつ引き受けていくことなのかもしれない。
夕方、片づけを終えて会社へ戻る車の中。
翔太は窓の外を見ながら、ぽつりと言った。
「寺中さん」
「ん?」
「税金って、いやいや払うもんやと思ってました」
「まあ、最初はそう感じるわな」
「でも今日、ちょっとだけ見方が変わりました。
自分も、誰かの生活を支える側に少しなれてるんかなって」
寺中さんは、前を向いたままうなずいた。
「そう思えたなら、ええことや。
働くいうのは、自分のためだけやない。
誰かの役に立って、そのつながりの中で生きていくことや」
翔太は静かに笑った。
まだわからないことは多い。
税金の仕組みも、社会のことも、難しいことばかりだ。
でも――
今日、自分が誘導した道を、
誰かが安心して歩いて帰っていった。
その小さな積み重ねの先に、
暮らしや町や社会があるのだとしたら。
払うことも、働くことも、守ることも、
きっと全部、同じ場所につながっているのだろう。
夕焼けに染まる町を見ながら、翔太は少しだけ背筋をのばした。
自分も、この社会の一員なんだ。
そんな実感が、
胸の奥に静かに灯っていた。
つづく
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