【第44話】春の七草、母の教え
一月七日の朝。
外はまだ冬の冷たい空気が残っているが、台所からはやさしい湯気と、ほんのり草の香りが漂っていた。
「翔太、起きてる?」
母の声に、翔太は布団の中で「はーい」と返事をする。
制服の仕事ではない、少しだけゆっくりできる朝だった。
食卓に並んでいたのは、白くてやさしい色の七草がゆ。
「今日は七草がゆやで」
「七草って、あの…名前覚えられへんやつ?」
翔太が苦笑いすると、母はくすっと笑った。
「せり、なずな、すずな、すずしろ、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ」
「やっぱ無理や…」
母はお椀によそいながら、一つずつ話し始めた。
「せりはな、競り勝つ、って意味があって縁起がええんやって」
「警備でも…周りに負けんように、ってことか」
「なずなは、撫でて汚れを払う。無病息災」
「現場で転ばんように、かな」
翔太の言葉に、母は少しだけうなずいた。
「すずなとすずしろは、大根とかぶ。体をきれいにしてくれる」
「食べすぎた正月のリセットやな」
「ごぎょうは、のどにええ」
「『大きな声で挨拶』の仕事やしな」
「はこべらは、歯を丈夫に」
「無線かみすぎて、歯痛なったら困るな」
最後に母は少し声を落として言った。
「ほとけのざは…仏さんの座。みんなが無事でいられるように、って意味」
翔太は黙って、おかゆをひと口食べた。
派手さはない。でも、体の奥にじんわりと染みてくる味だった。
「翔太」
「うん?」
「あんたの仕事は、人を守る仕事やろ」
「だからまず、自分の体と心を守らなあかん」
翔太は少しだけ背筋を伸ばした。
「…せやな」
「現場でも、気づいたら無理してる時あるし」
母は笑わず、ただ静かに言った。
「七草はな、全部“強くなる”草やない」
「弱らんように、整える草や」
翔太はその言葉を、心の中で何度も繰り返した。
——強くなる前に、整える。
警備の現場でも、焦らず、無理せず、周りをよく見る。
それは、七草がゆと同じやり方なのかもしれない。
お椀を空にした翔太は、いつもより少し軽くなった体で立ち上がった。
「ごちそうさま」
「今日も、気をつけてな」春はまだ遠い。
でも、確かに芽は、もうここにあった。
続く


