【第23話】特別編「はじめの一歩」

「ただいまー」

夕方、母の咳き込む声が聞こえる台所。
湯気の向こうで、エプロン姿の母が振り返る。
高校卒業を間近に控えた翔太は、進学も就職も決めかねていた。

友達の多くは進学先が決まり、SNSには入学準備の投稿が並ぶ。
翔太も胸のどこかで、同じようにキャンパスライフを夢見ていた。
でも——母ひとりで働かせ続けることに、罪悪感のような重たい気持ちがあった。


「俺、どうするんだろ…」
その答えが見つからないまま、日々が過ぎていった。

ある日の夕方、バイト帰りの道。

いつも通学路にある道路工事現場で、
交通誘導しているひとりの警備員がいた。
背筋を伸ばし、雨に濡れながらも大きく腕を振り、
通る車や歩行者ひとりひとりに深く頭を下げている。


「…あの人、すごいな」

翔太が小さな声でつぶやくと、近くで一緒に信号待ちしていたおばあさんが微笑んで言った。

「毎朝、あの人がいてくれると安心するのよ。親切でね、足の悪い私にもいつも声をかけてくれるの」

その言葉に、翔太の胸がじんわり熱くなった。

「人を守る仕事って、すごい…」

雨の中の誘導灯の赤い光が、妙にまぶしく見えた。


その夜、夕食を食べ終えたあと、
翔太は湯呑みを持つ母の前に座り、ぽつりと切り出した。

「…就職、決めた。警備の仕事、やってみたいと思ってる」

母は少し驚いた顔をしたあと、
「そう」とだけ言い、翔太の手をぎゅっと握った。
その手は、昔より少し小さく、そして温かかった。

翔太は心の中で誓った。
母を支えたい。誰かの安心になれる仕事がしたい。
——あの日見た赤い誘導灯の光は、今も胸の奥で燃え続けている。


つづく