【第10話】翔太の警備日誌|あいさつは、仕事のはじまり
朝。
翔太は寝坊しかけて、あわてて制服に袖を通した。
今日はすこし調子が悪い。
自転車を走らせて事務所に着くと、すでに制服姿の先輩が待っていた。
「おはようさーん、翔太くん!今日はわしとペアやで!」
いつものように、テンション高めの崎川さん。
翔太は、けだるく「おはようございます…」と小さくつぶやき、ヘルメットをかぶった。
「もっとシャキッと言わんかいな。ほら、声は現場の空気を作るんやで〜!」
そう言いながら笑う崎川さん。
現場に向かう車の中もずっとしゃべってる。
「そやけど、朝の冷たい空気って、気持ちええな〜」
「そろそろ梅雨入りやな〜」
「昨日の晩メシ、餃子焼きすぎてもうてな〜」
翔太は相づちを打ちつつ、頭の中で今日の配置と交通量をシミュレーションしていた。
現場は細い道路沿いの水道工事。
職人たちが道具を並べている。通行止めの看板、カラーコーン、そして翔太と崎川さんは通行人誘導と作業車の出入りに対応する。
翔太は、現場の人たちに軽く会釈だけして持ち場に立った。
最初の30分は無言で淡々と業務をこなしていたが、なんとなくやりにくい。
作業車の運転手も無表情。職人さんもこちらに話しかけてこない。
「なんか、壁を感じるな…」
翔太は違和感を覚えた。
休憩時間。
自販機で缶コーヒーを買ってベンチに座ると、崎川さんが隣に座ってきた。
「翔太くん、朝、あいさつしたか?」
「え? あ、はい一応…」
「一応て、あいさつはしっかり言わな伝わらん。
“おはようございます!”って声かけるだけで、相手の心が開くんやで。
現場はな、人と人の信頼でまわっとるんや。あいさつはその第一歩やで」
翔太は缶コーヒーを見つめたまま、ゆっくりうなずいた。
次の日。
翔太は少し早めに事務所に着き、制服の襟を正した。
現場に着くと、道具を並べていた職人さんに向かって、思いきって声を出した。
「おはようございます! 本日もよろしくお願いします!」
職人さんが顔をあげた。
「お、今日は元気ええな。よろしく頼むで!」
翔太の胸に、ふっと何かが灯った。
作業車の運転手も、笑顔で手を挙げてくれる。
通行人も「ごくろうさん」と声をかけてくれる。
その日一日、現場はスムーズに流れていった。
帰り道、制服を脱ぎながら翔太がつぶやいた。
「たった一言で、空気が変わるんやな…」
すると後ろから、崎川さんの声が飛んできた。
「そや!あいさつはな、仕事のはじまりやねん!」
翔太は笑った。
「なるほど、ええ言葉っすね」
そして小さく、こうつぶやいた。
「…まるにも、ちゃんと“いってくる”って言ってなかったな」
「あいさつか、よしっ!明日がみえてきた。」
つづく → 第11話:初めての後輩指導